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☆- イエス・キリスト = いろいろと多くの分析・所論があります
イエス・キリストに付いて、キリスト教に於いて三位一体の教義の元に、神の子である救世主として信仰の対象となっており、
イスラム教においてはマルヤムの子イーサ(マリヤの子イエス)として、ムハンマドに先立つ、偉大な預言者の一人とされる。
しかし、聖書中にはイエスによるキリスト教という宗教創始に関する記述はない。ただし、クリスチャンの呼び名はある。
12月25日はクリスマス(降誕祭)として、多くの教派で行われる祭りである。
毎年世界各地でその降誕を記念し、それに関連して色々な行事・風習が行われている。
しかし聖書にはその行事としての明確な記述はない。
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「 キリスト教での概説 」
様々なイエス・キリストの把握がある。この項目では、イエス・キリストを、救世主にして、三位一体の神自身ともみなすキリスト教における把握と、それに関連して、歴史的なイエス・キリストの把握像を概観する。
イスラム教やユダヤ教における位置付けや把握は、それらの宗教での説明に譲る(キリスト教でも、三位一体教義を認めない宗派があるが、これらも、ここでは広義のキリスト教と考える)。
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「 イエス という 呼称 」
イエスとは、ギリシア語「Ιησους(イエースース)」の慣用的日本語表記である。
元の語は、アラム語イェーシュア(ישוע Yeshua’)=ヘブライ語のヨシュア(イェホーシューア יהושע Yehoshua’)。
「ヤハウェは救い」を意味する。旧約聖書中のヨシュア記に見られるように、当時のユダヤ社会では普通に見られた名前であり、東地中海地方ではその後も「イーサー」「イースス」の形でよく用いられる。
かつての日本のカトリック教会ではロマンス語の発音からイエズスという語を用いていたが、現在ではエキュメニズムの流れに沿ってイエスに統一されている。
ただ、本来の『新約聖書』でのギリシア語記述は、上に述べるように「イエースース」であり、ラテン語の「Iesus(イエスス)」が、本来の名前に近い表音表記である。
日本ハリストス正教会がもちいる「イイスス」は、この「イエースース」の中世ギリシア語形に端を発している。
ただし、これらのギリシア語、ラテン語表記の語尾は主格形であり、目的語として使われる対格などでは異なる語尾に変化する。
日本語の慣例表記のイエスは、日本語にない固有名詞の格変化語尾を省き、名詞幹のみとしたものである。
英語表記ではイエスは「ジーザス」となり、『ジーザス・クライスト・スーパースター』などに現れる、日本語表記としては一般的とはいえない。
他に、賛美歌・聖歌などに用いられる表記には「エス(さま)」「イェス(さま)」がある。
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「 キリストという呼称 」
キリストとは、ギリシア語「クリストス(Χριστος)」の日本語表記である。ヘブライ語メシアのギリシア語訳であり、「香油を注がれた者」を意味する。
イエス・キリスト
「イエス・キリスト」とは「メシアとしてのイエースース」「香油を注がれ・聖化された者たるイエースース」を意味する。
キリスト教における救世主キリスト・イエスを必ずしも意味しない。
「香油を注がれた者(メシア)」とは、ユダヤ民族の歴史において、伝統的に、「聖化された王」の称号である。
イスラエルとユダの両王国が滅亡してより後、ユダヤ民族はディアスポラの民となり、かつての榮光ある「統一イスラエル」の成立と神権王国の再現を夢見た。
このようにして「統一神権王国」を再現する者としての「メシア」への期待が、ユダヤ民族の歴史において、徐々に大きくなって行ったのであり、イエスをメシアと考える者は、「メシア・イエス」と彼を呼び、これをギリシア語に訳して、「イエースース・クリストス」とした。
「メシア」すなわち「キリスト」を「救世主」と訳すのは、キリスト教における慣習であって、本来、このような意味はなかったことに注意せねばならない。
「イスラエルを救う聖なる王」という観念は、当時のユダヤ人にはあったが、それは「救世者・救世主」の意味ではないのである。
『新約聖書・福音書』を読めば分かる通り、イエスは、民族を越えた、父なる神の愛を説いてはいるが、その帰依者たち、弟子たちは、イエスをイスラエルを救う聖なる王と見做している。
イエスの処刑後、弟子たち・信徒たちは、ナザレ派としてユダヤ教の一派に留まり、エルサレムの神殿に通っていたのは、いまだ世界宗教としてのキリスト教は成立していなかったためである。
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「 救世主イエス・キリスト 」
しかし、やがて原始キリスト教会が成立するのであり、そのときイエースースは、更に、「ソーテール(σωτηρ)」の称号で呼ばれることになる。
「イエースース・クリストス・ソーテール(Ιησους Χριστος Σωτηρ)」は、「救世主イエス・キリスト」に相当する。
また、「神の子(字義通りには「神の息子」)」を意味する「テウー・ヒュイオス(Θεου Υιος)」の称号が加わるが、この名称は、『福音書』において、イエスを指すと共に、救済される人々をも指している。
イエスは、人は、父なる神の「子(τεκνον)」であり、また「息子(υιος)」であるとも述べている。それ故にこそ、「天の父」人々を「我が子」として愛してくださるのであるとも。
初期クリスチャンにとってイエスは優れて神の子であった。
1世紀末頃のヨハネ福音書にはイエスを「子」、すなわちそれ自体神性をもった存在とする見方が登場する。
イエスの神性は以後次第に大きな問題となり、325年の第1ニカイア公会議における論争において、イエスが神であるという教理が正統であると宣言される。
「神の子(テウー・ヒュイオス、字義通りには「神の息子」)」がキリストの称号として確立するのである。
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「 ナザレの イエス と イエス 」
歴史学等では、歴史上の人間としてのイエスを指す場合、「ナザレのイエス」と呼ぶことがある。
これは、『福音書』において、イエスが「ナザレ人」と呼ばれているためである。
しかし、史的イエスの実像を探求する場合には、イエスがナザレ人であったという『福音書』の記述もまた、歴史学的に吟味されねばならないのであり、このような場合、単に「イエス」と呼ぶ。
西ヨーロッパの宗教画やキリスト彫像は北方ヨーロッパ系の白人の痩せた男性のイメージで作られるのが一般である。
しかし、現在ではコーカソイドではあるが中近東から地中海沿岸一帯にかけて分布する、いわゆる地中海人種であったと想定されており、北方ヨーロッパ系の形質の身体であったとは考えにくい。
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「 イスラム教 における イエス 」
イスラム教においても、ユダヤ教の預言者とともにイエスを預言者(ナビー)のひとりとして受け入れている。
イスラム教では、「マルヤムの子イーサー」 عيسى ابن مريم ‘Īsā ibn Maryam (マリアの子イエス)と呼ばれるが、聖クルアーンの記述によれば神の奇蹟によってマリアの体内に創造された特殊な出自であるが、他の預言者同様アーダムの子=人類のひとりであって、決して「神の子キリスト」とは認められていない。
聖クルアーンはイーサー(イエス)をたびたび記載しており、死者蘇生や誕生直後に口を効いたといった奇蹟の数々が明言されている。
一方でアッラーは人類を含め一切の被造物を超越した存在でありかつ創造主であり、アッラー自身が「子を産みもしなければ産まれもしない」ために、イエスが「神」であることも「神の子」であることも明確に否定している。
さらに、イスラム教では、イーサー(イエス)は十字架にかかっておらず(別人が十字架で磔にされたので)、預言者としての使命を果たして生涯を全うしたとされる。
しかしながら、イーサーは救世主・メシア(マスィーフ)であることは認められており、最後の審判に先立って出現する反キリストであるダッジャールを討伐するため地上に再臨するとされているため、「神(アッラー)の救世主イーサー」 عيسى المسيح الله ‘Īsā al-Masīḥ Allāh という尊称も一般的である。
また、預言者ムハンマドは、昇天の旅であるミウラージュの奇蹟において天使ジブリール(ガブリエル)の導きにより天上でムーサー(モーセ)とイーサー(イエス)の2大預言者に会っている。
イーサーは神の啓示を受けた通常の預言者(ナビー)であるのみならず、使徒(ラスール)としても聖クルアーンやハディースなどでは重視して言及されており、イスラム教においてもイエスは大変に重要な地位を占めている
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